俺たちは碇シンジを卒業できない

碇シンジを卒業できない全ての者たちに捧げます。

「◯◯を好きな人が嫌い」と言うサブカルクソ野郎にうんざりした話

サブカル男子、サブカル女子とカルチャートークをしていると、必ずといっていいほど出てくるフレーズ。それが「◯◯を好きな人、嫌いなんだよね」である。◯◯に入るのは、村上春樹だったり、岩井俊二だったり、大森靖子だったり、浅野いにおだったり、ももクロだったりする。

話が盛り上がっているときにこれを言われると、うんざりしてしまう。そのアーティスト・作家を好きかどうかに関わらずだ。俺はサブカルクソ野郎とカルチャートークをしていたはずだったのに、お前も絶対に好きだろっていうようなアーティストに対して「俺は違う」と別のポジションを取り、ネガティブな意見を表明する。なんで嫌いなの?と聞いても、ろくな答えは返ってこない。

さらに、続けて「俺はサブカルじゃない」と自分のアイデンティティを否定しようとさえする。サブカルクソ野郎がサブカルじゃなかったらなんなのか。

彼・彼女らはなぜこんなことを言うのか。おそらく、こういうことだろう。

「◯◯を好きな人が嫌い」で挙げられるアーティストや作家は、元々はサブカル的なポジションに位置していたが、人気が出てミーハーなファンが集まっているタイプだろう。そして、そういうアーティスト・作家を好きなミーハーは、自分のことをサブカルだと思っている。なんなら自分がサブカルであることを誇りに思っている。そんな浅いミーハーサブカルたちは、たしかに痛々しい。

もし、自分がそのアーティスト・作家を好きだと言ったら、そんな浅いミーハーサブカルたちと一緒にされてしまう。サブカルクソ野郎は、きっとそう思うのだろう。だから、「◯◯を好きな人は嫌い」と表明することで「自分はミーハーサブカルとは違う」と表明し、ついでに「俺はサブカルじゃない」とあえて言うことで、安易にミーハーサブカルのレッテルを貼られることから逃れようとしているのだ。

「◯◯を好きな人、嫌いなんだよね」というフレーズには、「俺はファッションサブカル野郎とは違うんだよ」という、サブカルクソ野郎の矜持が込められた言葉ということなのだろう。まあ、わからなくないことはないが、ひねくれすぎではと思うのである。