俺たちは碇シンジを卒業できない

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希望は、アイドル|『世界の終わりのいずこねこ』感想

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いずこねこの活動終了はアイドルとしては不幸な幕引きだったかもしれないが、結果的に多くの人の記憶に残る美しい終わりを迎えた。いずこねこは、いわばひとつの作品として完結した。いずこねこ自身と、いずこねこの活動終了の顛末を寓話化したといえる『世界の終わりのいずこねこ』。この映画をもって活動終了を迎えたことにより、いずこねこは現実を離れ、永遠に存在し続けるキャラクターとなったのだ。

本作は『幼年期の終わり』をモチーフに、セカイ系的な世界観と、セカイ系作品の意匠を散りばめたTHEゼロ年代といった感じでいささか懐かしさを感じる構成となっている。だが本作はやはり、いずこねこというアイドルが「どう終えるのか」という問題と向き合う寓話なのだ。いずこねこのライブに触れ、活動終了をめぐるいきさつを少しでも知る者なら否応なしに現実とオーバーラップして観ることになるだろう。
つまり、本作はいずこねこ(茉里)とサクライケンタ氏、そしていずこねこを応援し続けた飼い主たち、彼女・彼らがいずこねこの活動終了を受け入れて、前に進むための映画なのだ。

本作をもっていずこねこは活動を終える。劇中ラストで「いずこねこ」は地球最後のライブを行うが、これこそ現実のアイドル・いずこねこのラストライブとなったわけだ。

映画でアイドルの活動を終えるという幕引きは、サクライケンタ氏の精神的な病による活動休止という不幸な顛末があり、こういう形になったものではあるが、結果的に美しい終幕となったと思う。いや、はっきり言って、映画でアイドルの活動に幕を下ろすというやり方には感動を禁じ得なかった。

劇中ラストで、茉里演じる「いつ子」が二重人格的に存在していた超越者「いずこねこ」と同化を果たし人間を超える存在となり、木星へ行く。彼女の歌とダンスをもっと多くの人に届けるために。
この結末は現実を侵食し、いずこねこにもほぼ同様の結末をもたらすことに成功している。いずこねこは映画という虚構を経由することで永遠の存在となったのだ。


さらにこの顛末は、自ずと敷衍され「アイドルとはなにか?」という問いに対するひとつの答えと理想を提示するわけだ。即ち、アイドルとは二重人格的に存在するキャラクターであり、永遠へと接続しうる存在であり、人類を救うかもしれない希望であるという具合に。

そう、今この国においてアイドルというのは、ある種の人々にとっては間違いなく希望として機能している。本作のようにアイドルが人類滅亡の危機を救うかもしれない希望というのは、ある意味では正しいのかもしれない。この映画を観た今なら、そんなことを信じてしまえる気がするのだ。