『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』感想

AKBドキュメンタリー映画4作目となる『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』を観ました。

本作はこれまでの作品同様、1年間にAKBに起こった出来事からいくつかの物語を複線的に描いているのですが、前作と違うのが主に2014年の出来事を中心に描いているという点です。大島優子の卒業を中心に、2014年2月の大組閣祭り、総選挙、そして岩手の握手会などが描かれていましたが、中でも印象的に残ったシーンをいくつか挙げます。

AKBを卒業する大島優子と、AKBとしての一歩を踏み出すドラフト生

大島優子がAKBを卒業して女優としての一歩を踏み出す一方で、対比的に映しだしたであろう、AKBに入ったばかりのドラフト生がアイドルとしての一歩を初々しく踏み出していくシーンがとても良かったです。

例えば、メイクのやり方を学ぶシーンや、レッスンに励むシーン。そして、バスに乗るとき、先輩を先に乗せて自分たちは後で乗ることを先輩から教えてもらっているシーンや、チーム4の公演の際、劇場の楽屋で自分たちの着替えや食事は、先輩がいないときに済ませることを明かすシーンなども良かった。チーム4が公演前に楽屋にいるとき、ドラフト生の彼女たちはロッカー前の狭い空間に並んで座っている様子は『あまちゃん』のワンシーンを思い出した。

こうしたシーンを見ると、まだまだ幼い少女たちが、アイドル以前に、集団の中で社会生活を送る上でのルールを身に付けていくという教育が全うに機能しているのだなということがわかり、新しいメンバーに至るまでそれが行き届いていることに素直に関心しました。そして、彼女たちのように、AKBグループの次世代を担うメンバーが着実に育っているということがわかる非常に良いシーンでした。

岡田奈々内山奈月 パフォーマンスの悩み

岡田奈々が自身のパフォーマンスについて悩み、内山奈月と語り合うシーンは、非常に良かったです。話している場所がまた良い。岡田奈々は客が入る前のAKB劇場の客席に寝転がっていて、その前に内山奈月が座って話しているという状況なのです。

岡田奈々は自分の公演でのパフォーマンスを、映像で見返しても以前よりも輝きがなくなっている、見ていてもワクワクしないという悩みを、同期である内山奈月に打ち明けます。それに対して内山奈月も自分の考えを話します。そして2人は、大島優子がいつでも輝いているということを話し、岡田奈々は「優子さんのようになりたい」と言います。

真面目と言われている岡田奈々ですが、初期にはあった「パフォーマンスにおける輝き」という曖昧なものをどうすれば再び取り戻すことができるのかという課題に悩む岡田奈々の真摯な姿勢、それを語り合う様子、これは本当に素晴らしかった。

自分は次世代への繋ぎでいい、というぱるる

ぱるるが「自分は次の世代にエースが出てくるまでの繋ぎでいい」と言っていたシーンです。このことは前から言っていたようですが、ぱるるがこんなことを言うのかという驚きがありました。

前田美月指原莉乃

あるライブの舞台裏、前田美月が憧れている指原莉乃にパフォーマンスを褒められる。前田美月はその日のライブの目標は指原さんに褒められることだったと言って、感激の涙を流す。それに遭遇した岡田奈々が「ちゃんと見てくれてる人がいるんだね」と声をかける。

ここでは指原はいつもの感じで軽いノリで声をかけたように見えましたが、前田美月にとってはそれだけで本当に嬉しかったというシーン。憧れの先輩に褒められて感激する後輩という素敵な青春の1カットといえるでしょう。

佐藤すみれと岩田華怜

大組閣でSKEへの移籍が言い渡された佐藤すみれと岩田華怜。2人は移籍するかどうかについて話し合う。最終的に佐藤すみれは移籍し、岩田華怜は残留する。この2人の間にある絆が丹念に映しだされていると感じました。おそらく大組閣における理不尽な移籍の指令に直面したメンバーの象徴としてこの2人を選んだのでしょう。

ディテールを撮るということ

こうして見てみるとメンバー同士が見せる舞台裏の些細な所作や会話といったディテールが素晴らしいと感じる場面が多かったように思えます。実際にそうした部分を丁寧に撮っていたのではないでしょうか。

次世代のメンバーにもフォーカスされ、AKBの未来を感じさせるシーンは多かったと思います。しかしもっとあって良かった。大島優子の卒業を中心に描き、副題を「少女たちは、今、その背中に何を想う?」としている以上、大島優子の卒業と対になるであろう「次世代メンバーが担うAKBの未来」といったようなテーマが設定されているはずです。それならば、次世代を担うメンバーに更に時間を割いて、彼女たちの物語をもっと映し出して欲しかった、というのが率直な感想です。

岩手の事件の描き方

岩手の握手会での事件の描き方はあれで良かったと思います。AKBとは無関係に起きた事件に対する悲しみと怒りと憤りをブログのコメントを載せることで描写する。そして再開した劇場公演の様子、ファンとの絆を強調する総選挙でのスピーチ。AKBは凶行には屈さず、止まらずに前に進んでいくという姿勢を描くだけで十分です。あの事件の問題とは社会全般に潜む問題であり、AKBのドキュメンタリーで描く範疇ではないでしょう。

戦争映画のアナロジーとして見る「DOCUMENTARY of AKB48」:理不尽なシステム、傷つけられる個人

「DOCUMENTARY of AKB48」は「戦争映画のようだ」と評され、監督自身も2作目は戦争映画のフォーマットで撮ったと発言していますが、今回の映像でもそうした映像として見ることのできるシーンがいくつかありました。映画館で観ると音響の良さのおかげで、それが一層伝わってきます。

映像的に戦争映画らしさが最も表れているのは2作目同様、ライブ前後のシーンでしょう。3月の国立競技場の大島優子卒業ライブ当日、大雨が降る中、リハーサルを決行。設置された巨大なステージ、降り注ぐ豪雨がステージを打ちつけ、無機質な音が響く中、実施されるリハーサル。開催できるのかという不安を抱えつつリハーサルを行うメンバーの心境が相まって、戦いを前に準備をする兵士たちに奇妙にも見えてしまうのです。

「戦争映画のようだ」と評されるもう1つの理由は、巨大なシステムが駆動し続けるがゆえに、システムに属する個人が理不尽に傷つけられる出来事が次々に起こる様子が映しだされているからではないでしょうか。本作でいえばそれに当たるのは大組閣。大組閣によりSKEからAKB、AKBからNMB、HKTからAKBというように唐突に運営からグループ自体を移籍させられるという理不尽極まりない事態に直面して泣き崩れるメンバーが続出するシーンは、まさに戦争映画のそれです。

エンターテイメントとしての興行的な成功のために、そしてファンの欲望に応えて刺激を提供し続けるために駆動し続けるAKBグループと、時には恩恵を受け、しかし時にはその犠牲となるメンバー。戦争遂行のために、そして勝利を求める国民の欲望に応えて駆動し続ける国家と、時には恩恵を受け、しかし時にはその犠牲となる兵士。この戦争そのものと類似した構造が、AKBが持つリアリティの源泉となっているといえるし、だからそれを撮ったドキュメンタリーが戦争映画のようになってしまうのでしょう。

AKBは自由恋愛となるのか

こうした巨大なシステムはそこに属する個人を無視して動いたり、システムへの過剰適応の末に過度な行動を取ってしまうというような危うさを秘めていて、システムの臨界点として現れてしまったのが峯岸坊主事件だということは当時言われていました。

あの不幸な結果を招いた要因は恋愛が発覚したことへのペナルティ問題があったわけですが、このシステムの欠陥ともいえる問題に対して運営が取った対策は、ここ最近の恋愛が発覚した際の対応を見るに、どうやら「沈黙する」ということのようです。

たしかに沈黙するという方策を取ることにより、恋愛が発覚したとしても、メンバーが、ペナルティが課せられるかもしれないと思ったり、あるいはペナルティを負わなければならないのではないかと思いつめることはなくなります。これにより峯岸のように、恋愛が発覚したら課せられる曖昧なペナルティに追い詰められ、AKBを辞めたくないがゆえに異常ともいえる行動を取ってしまうというような不幸は避けられるかもしれません。これでいったんは問題を解消できたといえるかもしれません。


秋元康は、峯岸坊主事件直後の2013年2月23日にラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に出演した際、恋愛スキャンダル報道に対する対応について言及しています。

もう万策尽き果てたかなと。つまり、メンバーに任せるといろんな自分の中のアピールも出てきちゃう。何やっても狙ってるように思われちゃう。もしかしたらさっきおっしゃったように、自己責任で好きなようにして、それでファンの皆さんが「あいつ彼氏いるらしいけど、それでも応援しよう」と思うかもしれないし。

これは要するに「恋愛は自己責任で好きなようにすればいい。その上で発覚したらファンの判断に任せる」ということでしょう。なるほどこれはたしかに民主的な方法かもしれません。そして現に今、取っている方法なのかもしれない。仮にこうした方法を今、取っているとしたら、例えば、みるきーは恋愛発覚後に総選挙を迎え、結果的にファンに許された状況にあるといえます。

こうした運営の対応によって、AKBは自由恋愛になるのか、恋愛をしていても隠すという方向に行くのか、それとも恋愛したことすらもオープンになっていくのか、全く検討もつきません。どうなっていくんでしょうね。


そもそもアイドルの恋愛を禁止するということ自体、性的搾取だという意見もあり、僕もそう思うのですが、じゃあオープンにしたとしてアイドルとファンの関係は成り立つのかとも思うわけです。アイドルと恋愛の問題は、落とし所をつけなければならない段階にきていて、今後のAKBの対応が分水嶺となりそうです。

SFやファンタジー作品などでは、巨大なシステムを破壊する唯一最強の手段が恋、といったようなハートフルな展開を目にしますが、AKB48グループという巨大なシステムを破壊し改変するのは、もしかしたら恋愛なのかもしれません。

恋愛問題は本作で扱っていないので完全に蛇足ですが、以上感想でした。